好きなことを仕事にするということ。
これが人生を有意義なものにする条件だと思っています。
僕の場合まだ学生講師なので、途中の段階ですが、今後も揺らぐことの無い信念です。
学校で行われる教育は、好きなことを見つけるためのものです。
学校の試験のための勉強も、大学入試のための勉強も、好きなことを見つけるためのヒントになります。
高校までに行われる教育は最低限に設定してあるように感じます。
その科目の面白さが理解できる最低のラインです。
人によって感じ方は違いますから、やっぱりつまらないと思う人もいるでしょうし、
ある科目を好きになって、没頭することもあるでしょう。
そうして好きなものができた瞬間から、それまで嫌で仕方が無かった勉強が楽しいものに変わります。
つまらなかった勉強に、知りたいことを自分の頭で理解し、新しいことを考えていく楽しさが加わります。
好きなものができたら、夢ができます。
夢ができると、実現するための力が必要になります。
夢を叶えるために必要なのは、勉強することです。
まとめると、勉強の意義は三つです。
1つ目は、好きなことを見つけるため。
2つ目は、夢(やりたいこと)を見つけるため。
3つ目は、やりたいことを実現するため。
僕の場合、英語を好きになりました。
やりたいことも見つかりました。
それを実現するために必死で努力しています。
学校の科目の中に一つも好きなものが見つからない場合もあるかもしれません。
学校の試験には赤点があります。大学入試なら不合格になります。
これらの合格点は、「最低限ここまでは学んでいてほしい」ということを示したボーダーラインです。
もし、自分の点数がボーダーラインを超えていないようであれば、それは単に努力不足です。
大学入試では一概には言えませんが、学校の試験は努力をすれば、合格できるように設定されています。
赤点を超えられない人は、今は勉強が嫌で仕方が無くても、一度我慢して努力すれば、その科目の好きなところが見つかるかもしれません。
好きなことが見つかれば、一歩踏み出せるように思います。
それは人生における宝物です。
受験生の場合は、やる気が落ちてしまうこともあると思います。
志望校を決めていても、模試の結果や、周りの影響で、志望校を下げたくなることがあるかもしれません。
ただ、一度志望校を決めたのであれば、そこには信念があったはずです。
やりたいことがあったはずです。
安易な理由で気持ちを折らずに、志望校を決めたときのことを思い出してみてください。
まだ志望校がはっきりしない受験生は、とにかく勉強してみるといいです。
ある一定のラインを超えたときに、好きなことが見つかるかもしれません。
志望校が決められず、どうしてもやる気が出ない場合は、急いで決めなくてもいいように思います。
これは経験から言えることですが、僕が英語を好きになったのは、浪人しているときです。
仕事にしようと決めたのは、大学生になってからです。
高校生のころはひたすらに化学が好きで、研究者になりたいと思っていたので、僕が入った学部は理学部化学科です。
化学科に入ってから英語を仕事にすると決めてしまったので、当然ながら苦労しています。
英語を全力で学びたいのに、化学も勉強しなくてはいけないのは辛いです。
言うなれば、好きな人がいて結婚したいのに、元恋人との関係がこじれて結婚できていないような状態です。
僕のように、好きで化学科に入ったのに、もっと好きなものができるということも起こり得ます。
好きでもないのに適当な学部に入っても、後悔する可能性はもっと高いですよね。
受験は一発勝負という認識が強いですが、別に浪人したっていいんです。
(浪人するよりも、大学に入り直す方が、お金も時間もかかります。)
浪人すれば、予備校には授業が格段にうまい講師がたくさんいます。
新しい価値観に触れることで、好きなことが見つかるかもしれません。
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